気合の入った発言はどうも

前々から何気に思っていたことだけれど、掲示板、ウェブページ、ブログの書き込みというものは、読まれることを意識した時点で只のデカイ声になってしまうのではないか。これらの書き込みは、執筆者が自分が正しいと思ったことを感じたままに、深く考えずにダラダラと書き連ねるのが基本であり健全な姿だと個人的には思うのだけれど、ページビューがあるにしろないにしろ、この書き込みによって何かを訴えかけようとか思い出した時点で、やっていることの本質は、街中を走る街宣車と何ら変わりないような気がする。街宣車との大きな違いは、ネット上の書き込みは、興味の無い内容にはそもそも観測者はアクセス出来ない点であり、ネット上でデカイ声を出したところで、ウヨにしろサヨにしろ厨道(うはw)にしろ、直接的な騒音公害にはならないことかと。
でまあ、結局回りまわって多くの人が目にするとしても、それに対するコメントは声の大きな一部の人の書き込みに限定されるわけで、特にその内容に興味を持った人が集まり易いネットの特性上、信者・アンチと大別される二極構造となってしまうのではと。でまあ、そこでちょっとした結論みたいなものが導き出されたとしても、黙れる大多数は冷めた目で見ていることの方が多いのではないでしょうか。発言者は己の言動に確信を持ち、傍観者は何も言わずに別の意見を持つ。これじゃあ、街宣車走らすのと何らかわりませんな。*1
でもまあ、どんな取りとめもまとまりもないコンテンツを書くにしろ、ぐぐる先生が検索すればたどり着くキーワードとして情報化してくれるのがネットの良いところ。時に議論を呼び、時にちょっと役立ち、常に見る人に何かを感じさせるからこそネットは面白い。ネットを活発なメディアにしているものは、他の何でもなくビッグマウスだと思う。ロガーは臆することなく放言を飛ばせばよい。後は傍観者が勝手にやってくれる。

*1:特にネット上のことに関していえば、そのページを見ていない人こそ大多数かと。